ノンセンスアニメ 1 さよなら絶望先生
ノンセンスアニメ
ノンセンスnon senseは、たとえば「不思議の国のアリス」に見られる、言葉遊びが多用されて、ほとんど意味の通じないやりとりであるにもかかわらず、一つの意味体系を形成しているような分野のことを意味している。
文学においては言語学的、意味論的によく研究されているが、これはどうなんだろう。
『さよなら絶望先生』
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2007/09/26
- メディア: DVD
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[rakuten:book:11508761:detail] コミックス
原作は同名の漫画で、2005年から連載中の久米田康治作。
昭和84年、夏目漱石の坊ちゃんのような、明治時代風の着物を着た先生糸色望がやってくる。黒板に名前を書いて、「絶望」と読め、口癖も「絶望した!」を多用するので、通称絶望先生。
担任クラスの女の子は、可愛い子ばかり。でも、とっても癖のある少女たち。彼女たちの会話は、本当に日常のなにげない話題なのだけれど、それを拡大解釈して、自虐的、妄想的に話が進んでいくのが面白い。
マンガだと、いろいろな例が小文字で書かれてあって、じっくり読めるのだけれど、アニメでは、すぐに場面が変わってしまって、オンエア中はまず目で追うのは無理。何度もDVDを見直して、一時停止して・・・それでも、停止のタイミングがずれると、うまくいかない! 本当にアニメというより、漫画のフォームにマッチしている作品なのだと思う。
それをあえてアニメ化する際、スピード感あふれる場面展開にするのは、何が書いてあったかチェックしたい視聴者のフラストレーションをあおって、DVDを買わせるため?などと勘ぐってしまう。
それでも画面を持たせているのは、スタイリッシュな画像と、濃いキャラクターたち、そしてノンセンスな会話。
もともとギャグマンガをアニメにするのは、非常に大変だ。特にこういった、身体表現(たとえば、漫才でこづかれたりばされたり、逃げ回ったり、ジェスチャーしたり)ではなく、言葉遊びを多用するノンセンスものは。
筆者はこの作品が大好きなのだが、見ていてとっても疲れる作品のひとつである。