マンガ研究

「マンガスタディーズ」

先日韓国で行われた、アジア学の国際学会に行ってきました。政治経済系の発表が多い中、Manga Studiesと題された非日本人のパネルがあったので、出席してみました。

発表は3つあり、最初はオーガナイザーの発表した、日本の戦後マンガ批評の概観、2つ目は、手塚治虫の戦争マンガを、彼の戦争体験の表象として読むもの、3つ目は木城ゆきとhttp://jajatom.moo.jp/frame.htmlのマンガにおけるナノテクノロジーの表象。

「日本の戦後マンガ批評史」は、非日本人のマンガ研究が盛んになってきているものの、日本語で発表されている日本人のマンガ批評は、ほとんど海外に知られていないため、それを紹介するもの。日本人でマンガ研究をしている人にとっては、もう当然の情報なのだが、非日本人にとっては、新しい情報だったようだ。

発表後に質問してみたが、やはり海外での日本人によるマンガ批評は、英語や現地語に訳されない限り、ほとんど無視されているらしい。(「動物化するポストモダン」は、フランス語訳が「オタクジェネレーション」という題名で出ているらしい)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

日本のマンガを研究するなら、日本語文献を読めるくらいになれ、という時代なのかもしれない。

手塚治虫の占領期に出版されたマンガ」については、発表者がほんとうに蚊の鳴くような小さい声で、マイクを使っても聞きにくいため、ほとんどパワーポイントで写されたビジュアルを見て判断していました。要するに、占領期に発表された手塚の作品に、彼の戦争批判や、「父」の「子」捨て(マッカーサーが日本を「少年だ」とたとえたことから、マッカーサーが日本を捨てたことのメタファー)が描かれているかをとくとくと述べているようだった。

しかし、本当に声が小さいので、発表後も誰も彼の発表については質問せず。せっかくの国際学会なのに、一方的に言うだけ言って、オーディエンスの反応を気にしないのは、いかがなものかと思うが・・・きっとシャイな人だったのかも。

そして最後、「ナノテクノロジーに対する批判をSFマンガを通して読む」という一風変わった発表で、マンガ批評というよりも、科学技術の批評のようだった。木城ゆきとのマンガ『銃夢』を主にとりあげて、

銃夢 1 (YOUNG JUMP愛蔵版)

銃夢 1 (YOUNG JUMP愛蔵版)

機械、アンドロイド、人間が技術の発達でどのように表象され、また人間性がどのように描かれているかと類型化していた。

しかし、ペダンティックでよくわからない発表だった。ついてこれる人はついておいで的な感じで、オーディエンス置き去り。(オーディエンスは私も含め10人もいなかったが)

そういう難しい発表だったためか、なぜかタイ滞在の初老のアメリカ人が彼らに「やおい」についてどう思うか、という質問をぶつけていた。タイの「やおい」マーケットは巨大で、日本はそのことについてどう思っているのか、批評はあるのか、というもの。

やおい」についてまったく触れていなかった発表者に、こういった質問をするのも酷だなあ、と思っていたが、第一発表者は、「やおいというかボーイズラブは、女性の男性中心的社会に対するリベンジだと思われている」との説明をした。

これに関しては、ちょっと古いなあと思い、「その傾向は70−80年代に盛んだったが、今はファンタジーとしての読みが批評としては主流だと思う」と、ずうずうしくもコメントしてしまった。『ユリイカ』でも特集があったことも告げたが、どうもその質問をした初老の男性は、ホモフォビア的なものがあったような印象を受けた。(つまり、こんな「やおい」なんてものが女性に蔓延していることに、だれも文句を言わないのか!というようなスタンスのようだった)

ともかく、午前中の発表だったし、マンガスタディーズという大きなテーマをかかげていたし、大変だったと思うが、海外に日本のマンガとマンガ研究の一端を知らしめてくれる作業は、本当に重要だと思う。