サマーウォーズ

アニメーション映画評 「サマーウォーズ」(2009)

監督 細田 守
原作 細田守マッドハウス日本テレビ放送網角川書店
出演 神木隆之介(小磯健二役)、桜庭ななみ(篠原夏希役)、谷村美月(池沢佳主馬役)

時をかける少女

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でその名を知らしめた、アニメ監督細田守の最新作。

私は『おジャ魔女どれみ』の好きなエピソードがあり、それを監督されていたのが細田さんだったとあとから知って、驚いたことがあった。それ以来、彼の作風は非常に落ち着く感じで好きだ。

そして、最新作。まだ公開中なので、映画を見てからこれを読んでください。(ネタばれあり)

【作品内容】(詳しくはhttp://s-wars.jp/index.html
2010年7月、数学が得意だけれども、いまいちぱっとしない都内の平凡な高校生小磯健二が、OZという巨大な世界規模のネットワークの保守点検のバイトをしていると、あこがれの先輩夏希が、4日間だけバイトをしてくれる男子を探しているとやってくる。同じく夏希にあこがれる友人佐久間敬にじゃんけんで勝った健二は、喜んで夏希に同行し、彼女の田舎長野県上田市へと到着。着いてみると、大豪邸陣内家の日本家屋で、祖母の90歳の誕生日のために、親族一同が集まるので、その間夏希の婚約者のふりをするというバイトだったのだ。

これはすぐにばれるが、なぜか祖母に気に入られた健二は、突然の訪問者(実は10年ぶりに帰ってきた陣内家の跡取り)の悪態ぶりに驚いたり、OZの突然の暴走に翻弄されながら、ネット上に現れた破壊者と仮想空間で戦う。ひきこもりがちな夏希のいとこ佳主馬と協力しつつ、佳主馬がネット上の勇者キング・カズマだったと知り、戦いは親族全員を巻き込んでいく。しかしその破壊者の制作者は思いもかけない人物だった。。。。

【声優さん】
健二を演じているのは、ジブリ映画でおなじみの、神木隆之介くん。いつのまにか高校生を演じるくらいの歳になったんですね。『千と千尋の神隠し

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

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の坊の声をあてている時は、本当に子供の可愛い声だったのが、もう幼さを少し残しつつも勇ましい少年に成長していて、よかったです。そして佳主馬を演じている谷村美月さん。彼女は大阪出身の派手ではないが、味のある女優さん。「モキュメンタリー」映画「谷村美月17歳」
谷村美月17歳、京都着。~恋が色づくその前に~ [DVD]

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 で私はその存在を知ったのだが、これが複雑でいい。彼女が佳主馬の声だったとは、作品を観る前に前情報を仕入れないようにしている私としては、うれしい驚きだった。実にうまく、少年性の要素の含んだ少女の声であった。おばあちゃん陣内栄役の富司純子も、さすがの奥行きのある声。非常にうまい引きのある演技で、この物語に非常に重要な要素を醸し出している。そして気になったのは、後継者陣内侘助役の斎藤歩さん。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%AD%A9 調べてみると、海外の古典演劇を多くされている舞台俳優さんだったのですね。映画やドラマにも多数出演されているので、見ているはずなんですが、声だけだと、本当に落ち着いた中にもエッジが聞いたような声で、非常にいい味だしていました。 

【テキスト】
この作品は次のコードを切り口とするとわかりやすいかもしれない。

1)グローバルとローカル
2)デジタルとアナログ
3)ジェンダー化の意味
4)風景とノスタルジア

まず、1)グローバルとローカル。グローバリズムの象徴であるインターネットが、すでに普及している現代では、世界中の情報が家にいても瞬時に得られることは、「フツウ」なことかもしれない。電子マネーやネット銀行、システム管理などが、もしひとつのサーバーで管理されたら、それは非常に便利。現に、もう実用化されている。けれども、それにはつねにサイバーテロのリスクを負うことになる。

そんなグローバルな世界(OZ)と、対比されるのが、今回の舞台長野県上田市。武田の伝統がいまだ残るこの地は、豊かな自然が残り、大豪邸にはクーラーもなく、夜は蚊帳をつる生活。このローカリティが、OZと対比させられるも、実はその場も、OZの一部として表象されている。

けれでも、私たちは、山や朝顔入道雲に、OZにはない「リアル」さを感じ、OZの中の殺伐とした、なんの感情も介在しない世界からの逃避場としての価値を見出す。

だが、町の信号、道路状況、ナビ、GPSはすべてOZと連携しており、そんな生活も、じつはグローバルなものとつながっていることを実感せざるを得ない。ローカリティに焦点を当てることで、そのグローバルなものの恐怖やあやうさが浮き彫りにされている。

そのアンビバレントは、デジタルとアナログにも言える。
【以下続く】

 マンガ研究

「マンガスタディーズ」

先日韓国で行われた、アジア学の国際学会に行ってきました。政治経済系の発表が多い中、Manga Studiesと題された非日本人のパネルがあったので、出席してみました。

発表は3つあり、最初はオーガナイザーの発表した、日本の戦後マンガ批評の概観、2つ目は、手塚治虫の戦争マンガを、彼の戦争体験の表象として読むもの、3つ目は木城ゆきとhttp://jajatom.moo.jp/frame.htmlのマンガにおけるナノテクノロジーの表象。

「日本の戦後マンガ批評史」は、非日本人のマンガ研究が盛んになってきているものの、日本語で発表されている日本人のマンガ批評は、ほとんど海外に知られていないため、それを紹介するもの。日本人でマンガ研究をしている人にとっては、もう当然の情報なのだが、非日本人にとっては、新しい情報だったようだ。

発表後に質問してみたが、やはり海外での日本人によるマンガ批評は、英語や現地語に訳されない限り、ほとんど無視されているらしい。(「動物化するポストモダン」は、フランス語訳が「オタクジェネレーション」という題名で出ているらしい)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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日本のマンガを研究するなら、日本語文献を読めるくらいになれ、という時代なのかもしれない。

手塚治虫の占領期に出版されたマンガ」については、発表者がほんとうに蚊の鳴くような小さい声で、マイクを使っても聞きにくいため、ほとんどパワーポイントで写されたビジュアルを見て判断していました。要するに、占領期に発表された手塚の作品に、彼の戦争批判や、「父」の「子」捨て(マッカーサーが日本を「少年だ」とたとえたことから、マッカーサーが日本を捨てたことのメタファー)が描かれているかをとくとくと述べているようだった。

しかし、本当に声が小さいので、発表後も誰も彼の発表については質問せず。せっかくの国際学会なのに、一方的に言うだけ言って、オーディエンスの反応を気にしないのは、いかがなものかと思うが・・・きっとシャイな人だったのかも。

そして最後、「ナノテクノロジーに対する批判をSFマンガを通して読む」という一風変わった発表で、マンガ批評というよりも、科学技術の批評のようだった。木城ゆきとのマンガ『銃夢』を主にとりあげて、

銃夢 1 (YOUNG JUMP愛蔵版)

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機械、アンドロイド、人間が技術の発達でどのように表象され、また人間性がどのように描かれているかと類型化していた。

しかし、ペダンティックでよくわからない発表だった。ついてこれる人はついておいで的な感じで、オーディエンス置き去り。(オーディエンスは私も含め10人もいなかったが)

そういう難しい発表だったためか、なぜかタイ滞在の初老のアメリカ人が彼らに「やおい」についてどう思うか、という質問をぶつけていた。タイの「やおい」マーケットは巨大で、日本はそのことについてどう思っているのか、批評はあるのか、というもの。

やおい」についてまったく触れていなかった発表者に、こういった質問をするのも酷だなあ、と思っていたが、第一発表者は、「やおいというかボーイズラブは、女性の男性中心的社会に対するリベンジだと思われている」との説明をした。

これに関しては、ちょっと古いなあと思い、「その傾向は70−80年代に盛んだったが、今はファンタジーとしての読みが批評としては主流だと思う」と、ずうずうしくもコメントしてしまった。『ユリイカ』でも特集があったことも告げたが、どうもその質問をした初老の男性は、ホモフォビア的なものがあったような印象を受けた。(つまり、こんな「やおい」なんてものが女性に蔓延していることに、だれも文句を言わないのか!というようなスタンスのようだった)

ともかく、午前中の発表だったし、マンガスタディーズという大きなテーマをかかげていたし、大変だったと思うが、海外に日本のマンガとマンガ研究の一端を知らしめてくれる作業は、本当に重要だと思う。

 ノンセンスアニメ 1 さよなら絶望先生 

ノンセンスアニメ

ノンセンスnon senseは、たとえば「不思議の国のアリス」に見られる、言葉遊びが多用されて、ほとんど意味の通じないやりとりであるにもかかわらず、一つの意味体系を形成しているような分野のことを意味している。

文学においては言語学的、意味論的によく研究されているが、これはどうなんだろう。

さよなら絶望先生

さよなら絶望先生 特装版1 [DVD]

さよなら絶望先生 特装版1 [DVD]

 DVD
[rakuten:book:11508761:detail] コミックス

原作は同名の漫画で、2005年から連載中の久米田康治作。

昭和84年、夏目漱石の坊ちゃんのような、明治時代風の着物を着た先生糸色望がやってくる。黒板に名前を書いて、「絶望」と読め、口癖も「絶望した!」を多用するので、通称絶望先生

担任クラスの女の子は、可愛い子ばかり。でも、とっても癖のある少女たち。彼女たちの会話は、本当に日常のなにげない話題なのだけれど、それを拡大解釈して、自虐的、妄想的に話が進んでいくのが面白い。

マンガだと、いろいろな例が小文字で書かれてあって、じっくり読めるのだけれど、アニメでは、すぐに場面が変わってしまって、オンエア中はまず目で追うのは無理。何度もDVDを見直して、一時停止して・・・それでも、停止のタイミングがずれると、うまくいかない! 本当にアニメというより、漫画のフォームにマッチしている作品なのだと思う。

それをあえてアニメ化する際、スピード感あふれる場面展開にするのは、何が書いてあったかチェックしたい視聴者のフラストレーションをあおって、DVDを買わせるため?などと勘ぐってしまう。

それでも画面を持たせているのは、スタイリッシュな画像と、濃いキャラクターたち、そしてノンセンスな会話。

もともとギャグマンガをアニメにするのは、非常に大変だ。特にこういった、身体表現(たとえば、漫才でこづかれたりばされたり、逃げ回ったり、ジェスチャーしたり)ではなく、言葉遊びを多用するノンセンスものは。

筆者はこの作品が大好きなのだが、見ていてとっても疲れる作品のひとつである。

 商業アニメの過去と現在 2

商業アニメの過去と現在 2


(前回からかなり間があいてしまいました。お詫びいたします。)

さて、後半は、話題の国立メディア芸術センターについての話題がありました。

「国立の漫画喫茶」と揶揄されてしまっている、この計画。どうやら、白紙に戻る気配なのですが、とりあえず、みなさんはどう思っているのでしょうか?

安彦さんは、「サブカルチャーに役所が出てくる必要はあるのか?」と疑問を投げかけます。漫画やアニメなどが、カウンターカルチャーとして機能していることを前提にお話されているのだと思いますが、おそらく、役所が文化を統治する、という事態を懸念されているのかと。

文化なんて、支配者の意図によって容易に「発見される」し、「創造」もされるものです。こういった文化のわなに、私たちもセンシティヴでなくてはいけません。

芦田さんのポイントは、「アニメーターたちの人材不足。」これはかなり深刻な問題で、いい人材はあるのに、食えなくて辞めていくそうなのです。アニメーターさんの給与体系や労働条件など、最近詳細なデータが発表されましたが、http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/28/news016.html
思った以上に深刻ですね。海外からも、「日本でアニメを作りたい!アニメーターになりたい!」という声をよく聞きますが、はっきりいって、「やめたほうがいい」と返事せざるをえません。

(最近もそういう相談を受けました。真実を伝えました(笑)

しかし、その現状は改善していかなければいけませんね。政府もアニメを「国策」に使おうとしているなら、そういう財源を製作用に確保して、しかも末端のアニメーターに回るようにしたほうがいいのではないでしょうか。

(それでも安彦さんの問いに戻ってしまいますが。)

経営者の立場から、ボンズの南さんは、本当にかなりシビアな状況だということを語って下さいました。海外での配給ルートの確保など、これからのビジネスモデルは、急いで整えていかないといけない、ということをおっしゃっており、お金が動かないと、文化も廃れていくのかも、などと考えてしまいました。

亡念のザムド 1 【DVD】

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今気に入っているボンズ作品

 商業アニメの過去と現在 1

6月27,28日は、神戸芸術工科大学日本アニメーション学会の第11回大会が行われました。

アニメーションを作る人、それをプロモートする人、そしてアニメーションを研究する人など他分野の人々が会員となっているこの学会ですが、まだまだその名はあまり知られておらず、会員数も二百十余名です。

それでも、第一線で活躍中のアニメーターやアニメ関係の人々にお会いできるのが、この学会のユニークなところでしょうか。

その講演会に行ってきました。

まず第一部は、脚本家で推理作家でもある辻真先さん。

大学卒業後、NHKに入社、その後アニメのシナリオ(「サイボーグ009」やその他初期の頃のTVアニメ作品にたずさわる)を書き始めて、今日に至っている。その頃は、大卒でアニメの仕事をするような人は、マイノリティだったため、よくからかわれたのだとか。そして、NHKをやめてアニメの仕事をするなんて、と驚かれたそうで、昔のアニメも今のアニメも軽侮の対象だったことが垣間見えます。

アニメがこれほどまでに、大きなビジネスとして発展しなければ、今でも軽侮の対象だったんでしょうね。(とはいえ、まだまだアニメをばかにしている人、アニメを見るのは、オタクばかり、と思っている人は多いですね)

さて、本題です。辻さんは、脚本家という立場から、ワンクール(約13回)のテレビアニメ脚本を書くのに、どのような構成をするといいのか、というお話をしてくださいました。

お好きなアニメは、「大江戸ロケット」「電脳コイル」などで、そのSF的なところを、SF作品の例を挙げ、説明してくださったのですが、面白かったのは、裏事情と、回数の構成で、お遊び回や引き伸ばし回などが入るエピソード。

裏事情というのは、スポンサーなどの意向で、作品が縮められたり、伸ばされたりすること。映画だと、人気がでると続編が作られるのと同じメカニズムです。テレビも、当初の予定より縮めてほしい、人気がでているので伸ばしてほしい、など、脚本家はいろいろと注文を受け、それに応えていかなければならず、非常に苦労したということをおっしゃっていました。

それはそうだなあ。。。と。今でこそ、脚本家は本当にたくさんいますが、アニメ作品の数が増え、しかもテレビは時間の勝負なので、すぐに変更、すぐに完成、納品しないと間に合いません。そういう裏事情で、作品のプロットが変わったり、キャラクターが増えたり、減ったりという影響があるのは、当然のことながら、そこから作品を見ていくというのも、面白い視点ですね。

そして、お遊び回のこと。辻さんのお気に入りは、「電脳コイル」のちょうど折り返し回、第13回 「ダイチ、発毛す」。

電脳コイル 第6巻 通常版 [DVD]

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[rakuten:book:12077213:title]

これを抜いても、メインプロットにはあまり影響はないのですが、ちょっとスタッフのお遊びというか、一息つきましょう、という雰囲気が伝わる楽しい回で、非常に気に入っているそうです。

これからは折り返し地点、第6回、第12回、などを注目していくと、面白いかもしれません。

 ロシア・アバンギャルドとプロパガンダ アニメ映画

ロシア革命アニメーション1924-1979 ロシア・アヴァンギャルドからプロパガンダ

という短編アニメ映画が渋谷で上映されています。

http://www.takeshobo.co.jp/sp/russia/

珍しいラインナップなので、渋谷に行った際はぜひ。

 メビウス 描線がつなぐヨーロッパと日本 報告

先日、フランスの有名な漫画家・イラストレーター メビウス氏の講演に行ってきました。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0004084.html

メビウスの大ファンだという、浦沢直樹さん、評論家の夏目房之介さんとの対談形式で、会場は1000人あまりの人々で埋め尽くされました。

メビウスさんは、少年時代のメキシコ滞在経験、アメコミからの影響などを受け、最初ウェスタン(西部劇)のジャンルで作品を発表。これがフランスで大きな反響を呼ぶ。

彼がやろうとしていたことは、バンドシネ(BD)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%8D の中で、子供向けのBDとアート的なイラストレーションをつなげることと、表現の自由さを求めることだという。一種の文化的な革命であり、思想的な革命でもあったと思う。(夏目氏が、60年代から70年代の劇画や漫画が、若者のカウンターカルチャー(対抗文化)として発達したというコメントをしていたが、まさに芸術運動というのは、社会思想と親和性が強いのである)

個人的な感想を述べると、メビウスさんの絵というか描線は、とても繊細で、キャラクターも、リアルなのだが、どこか漫画チックなのだ。そして、影の付け方、パースの取り方、配置の仕方に、ソフトであって、広がりがあるような、そんな印象を与える。

メビウスさんの作品に大きな影響を受けたのが、大友克洋さん。彼のAKIRA

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が、欧州で大ヒットしたのも、もともとBDにメビウスさんのような絵柄があり、受け入れやすかった土壌があったことも、ここで納得した。

浦沢さん[rakuten:hyoutan:10007245:detail]は、大のメビウスファンで、自身もかなりのメビウスコレクター。同じクリエーターとして、メビウスの絵から影響を受けたことをかくさない。とくに、影や線描は、メビウスさんの絵と比較すると、影響があることがわかる。

ドラゴンボール

鳥山明氏も、メビウス・チルドレンだという。

Arzach

Arzach

 比べてみると、確かに似ている。

初来日は手塚治虫の招待で、京都観光もしたとか。日本通で、今回が一番楽しかったという、会期中72歳を迎えられた氏は、非常に礼儀正しいおじいさまだった。

宮崎駿の『ナウシカ』にも影響が見られるということを、司会者の藤本由香里さんや他の宣伝でも言及されていたが、それについては一切コメントがなかった。

とにかく、メビウスさんは、BDと日本の漫画研究、そしてマンガ原作のアニメ研究には、重要な人物なのだ。