ローゼンメイデン その2

ローゼンメイデン」その2

第二期「ローゼンメイデン」では、ローゼンの作った人形5体に加えて、最後の人形だという6体目薔薇水晶という人形が現れる。彼女は、「アリスゲーム」という戦いを放棄した真紅たちに、「それはお父様の意思に背いている」とし、戦いを強要していく。水銀燈の真紅への恨みも上手く利用し、戦う=強くなる=父親の愛を得るという構図を確認させていく。

ここで、興味深いのは、最初に真紅の戦闘放棄から離脱するのは、ボーイッシュな人形だというところ。戦いは元来マスキュリニティの強い記号であり、彼女が父親を喜ばせたいために「アリスゲーム」を再開させるというのは、理にかなった選択ではある。

けれでも、彼女は水銀燈に負けてしまう。マスキュリニティの象徴が敗北、つまり否認されるのである。最終的にフェミニニティを維持し、かつ力強い意思を持った者だけが、勝ち残る(結局勝ち残ったのは真紅のみ。でも、止めをさそうとする真紅をジュンが止め、そのせいで逆に真紅は薔薇水晶に負ける)。

父の愛を得るためには、外部の男性に心を奪われた真紅もまた、否認されることになる。この時点で、すべてのローゼンメイデンは敗北しているので、彼女たちの魂は、勝者の薔薇水晶のものとなるが、実は彼女はローゼンではなく、ローゼンの弟子によって作られた人形だったため、その魂を吸収する過程で、崩壊してしまう。

もう一つの父の愛、ローゼンの弟子(自分の父)のために戦った薔薇水晶は、今度は他人の魂の大きさにキャパが耐え切れずに崩壊する。つまり、彼女も否認されるということになる。彼女の場合は、父親(ローゼンの弟子)が意図的に彼女を自分の願望実現(師匠ローゼンを超えたい)という、似非父ー息子関係の道具に使われているため、複雑なのだが、結局他者を媒介(しかも娘)にした、父ー息子関係も否認されるという構図になる。

では結局、何がメッセージとして残るのか?

親からの分離、と生きる意思、なのではないだろうか?エディプスコンプレックスとして片付けられがちな解釈に、もう少し違った選択肢を与えてくれているのが、この物語の素晴らしいところであり、複雑なところである。ダディーズガールから脱却するために、男性化するのでもなく、かといって、操り人形の女性化するのでもなく、自己のアイデンティティを確立した時、それぞれの呪縛を解く道が見えてくる。

第二期で完全に平和が訪れたわけではない(人形2体は壊れたまま)ので、この物語は継続するであろうし、もし第三期が作られるならば、ダディーズガールから脱却した、自立・自律した女性がどうなるのか、非常に興味深いところである。