劇場版BLEACH 第二弾 もう一つの氷輪丸
劇場版「BLEACH The Diamond Dust Rebellionーもう一つの氷輪丸」
第一弾の映画は、主人公の高校生一護と、サブ主人公女子高生センナの物語でした。男性ヒーローが、女性ヒロインを守るという物語は、構造的には王道です。
「守る」
というのも、アクションヒーロー漫画、アニメ、小説にはありふれたものです。そのほとんどが、地球を守る、友達を守る、好きな人を守る。だから戦う。というもので、男性にその役割がになわれます。戦争が舞台になった物語では、それは明確に前景化します。
さて、今回のBLEACHは、一護が主人公として物語が回るのではなく、人気の高い護廷十三隊の隊長の一人、人間でいえば小学生くらいの冬獅郎という少年の物語です。
ググると、ウィキペディアに、彼オンリーの紹介項目がありました。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%95%AA%E8%B0%B7%E5%86%AC%E7%8D%85%E9%83%8E
あらすじを簡単に述べます。冬獅郎のもつ氷輪丸という斬魄刀(ざんぱくとう)をめぐって、親友の草冠(くさか)と争うことになった(正確に言うと戦いを強いられた)という過去のトラウマが語られます。そのことを誰も知らず、彼が行方不明になったことで、裏切り者と判断され、護廷十三隊から処刑命令が出てしまう。事態を知った一護たちは、冬獅郎の真意を確かめようと、ソウルササエティへ乗り込んでいく。
この映画は、人気の冬獅郎に、暗い過去があったこと、事故とはいえ親友を自らの手で殺してしまったこと(実は彼は蘇ってきてしまう)という背景を描き、彼のクールな性格の裏付けがなされています。
ここで王道の「守る」は、男女関係に読み込まれていません。冬獅郎と草冠の間、そして冬獅郎と部下、友人たちの間、冬獅郎と一護の間の「友情」、ごくごく健康的なテーマが語られます。
興味深いのは、一護が冬獅郎に肩入れするのは、「同じ目をしている」という過去のトラウマへのエンパシーです。シンパシーが、満たされた者が満たされない者へ向ける、憐憫の情としたら、エンパシーは、相手と同等の立場に立ち、境遇や感情を共有するという行為です。
他者へのエンパシーは、自己肯定につながります。自分の痛みを他人に見るという、非常に説得力のある経験に基づいているため、一護が彼を信じることは、すなわち自己愛にも通じます。
最終的に、トラウマを自ら断ちきった冬獅郎ですが、トラウマはそんなに簡単に克服できるものではありません。一護がそうであるように、それは慢性病のように、「つきあっていく」しかないのです。大事なのは、それを直視すること。
現代人は、誰でもがトラウマを持って、それによって悩んでいる人はたくさんいます。映画のようにすぐ解決することは稀ですが、この映画は、過去の過ちやトラウマは、現代の自分と自分の仲間によって、癒されることができるというメッセージを発しているのかもしれません。
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