マンガは越境する シンポジウム報告
「マンガは越境する」シンポジウム
2009年1月12日京都国際マンガミュージアム
アニメではありませんが、アニメと関連深いマンガのシンポジウムに行ってきました。テーマは、国内、国外でマンガというメディアが、さまざまに越境している現状を、どうとらえ、その中ではどんなことが起こっているか、というものです。
実はこのラインナップは、福岡ですでに行われていたということで、若干テーマにそってそれぞれの興味の領域を無理やり合わせてみた、という感じも否めないものでした。
しかし、グローバリズムの視点で、マンガの現象を見る、作品を分析するという行為は、これからその政治性も含め、考えていくべき問題です。
さて、少しずつ内容をご紹介していきましょう。ただし、私のフィルターをかけているので、ひっかかる部分とひっかからない部分があることをご了承ください。
1)基調講演
「越境するメディア的起点としての1970年代マンガ」
村上知彦 (マンガ評論家、神戸松蔭女子大学講師)
まず、自分語りから。村上氏は1951年生まれであり、70年代には青年としてマンガを読み、また批評もしていたという経緯があった。作者、読者の越境もここですでに起こっていた。
そして、70年代は、少年マンガの青年化も起きていたということだ。「あしたのジョー」、ジョージ秋山、松本零士「男おいどん」などは、劇画系、少年漫画などの青年化の好例だ。青年誌自体は60年代後半から登場していたものの、本格的な青年化が起きたのはこのころだという。
そして70年代は、少女マンガの発見もあった。少女マンガの青年化も起きている。「ポーの一族」が好例。
また、読者側も、批評などが載せられるマンガ雑誌の登場や、コミックマーケットでミニコミ誌を売買するような場が、作られていったのも70年代だったという。
またマンガ専門書店が登場してきたのも、70年代ということで、この時期はかなり、マンガをめぐる状況が変化し、現代の雛形ができあがっていったことがわかる。
基調講演だったので、70年代というのを軸に、マンガジャンル、マンガメディア、作者読者など、さまざまな場の越境の解説があった。ここからいろいろな視点で、パネリストたちが論じていく。
まんが解体新書―手塚治虫のいない日々のために (PCCブックス)
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