研究ノート 「ソフトパワー」としてのアニメ

ソフトパワーとしてのアニメ」

ソフトパワー」というのは、アメリカのハーバード大学教授ジョセフ・ナイ・ジュニアが提案した、政治の推進力として、ハードパワー(経済力、軍事力)に代替する力として提案したものである。それは、「憧れ」や「理想」など、人々のエモーションに訴えかける、精神的な魅力というようなニュアンスで使われている。

 これは翻訳本。

その一つとして、文化があげられている。それは、マクドナルドやスターバックスなどの食文化が代表的なものだが、音楽やハリウッド映画などもその範疇に入っている。


現在、世界中で人気が出ている日本産アニメ。大きなビジネスチャンスとして、産業としてのアニメの振興が盛んである。アニメーション製作者にとっては、市場の拡大は、手放しで嬉しいもの。でも、アニメファンにとっては、アニメを単なるビジネスとして捉えている態度に、眉をしかめている人もいるだろう。

今日は、アニメそのものではなく、アニメが果たす国際貢献について考えてみたい。

国際理解を促す「ソフトパワー」として、アニメとマンガの果たす役割は、本当に大きい。身近な例をとってみても、外国で日本語を習っている若者達のほぼ過半数が、「アニメやマンガが好きで、日本に興味をもった」「アニメやマンガを原書で読みたくて、日本語を習っている」というのである。

言語を習うことは、すなわち、文化を習う事でもあるので、日本語習得は日本文化の理解への第一歩だと思う。

単純に言葉だけでない、アニメやマンガの絵の中に表象される日本、という点でも、アニメ・マンガの果たす役割は大きい。

例えば、よく挙げられる例だが、アニメ「セーラームーン」がアメリカで放映されたとき、キャラクターたちが箸でものを食べるシーンが、「子供が混乱するから」という理由でカットされて、放映されたことがあった。

けれども、いまやそんな例はほとんど聞かない。日本アニメやマンガの特徴として、実に食べるシーンが多いのが一つあげられるのだが、箸、ラーメン、茶碗、ご飯など、いわゆる日本(東洋)独特の食文化に関するシーンは、そのまま放映され、時にはそれを見て、日本食に興味を持つ人たちも多いのだ。

フォークやナイフで食べることに慣れている西洋人たちは、箸の使い方があまり巧くはない。最近は、かなり箸を使いこなせる人たちも増えたが、まだまだ「箸を使えること」=「かっこいいこと」として認識されるのだ。

食文化に興味をもつことも、日本という国民を理解する重要な窓口だ。

そして、特に少女向けアニメやマンガに特徴的な、人の心の機微の描写も、国際理解にとって重要だと思われる。例えば、好きな相手に告白すること。少女漫画では王道の部分だが、これが「・・・・」「そんな・・・・・」「わたし・・・・・・」などと、みなまで言わない描写が続いたりする。逡巡する気持ちを、細かく描くことで、ストレートに言語化せず、相手の気持ちをはかりながら、自分を確認していくという、日本のメンタリティがよく表されているのである。

時には曖昧で、答えのはっきりしないことは、観客にとってすっきりしないことなので、例えばハリウッド映画の文法にはそぐわない。(ちなみに、ハリウッド映画は、序、メイン、危機、クライマックスなどそれぞれ挿入する時間配分がだいたい決まっている。でも最近は構成自体も複雑になっている映画も出てきている。)

そんな映画のストーリー展開に、オルターナティブを見せたのがアニメ・マンガであるともいえる。小説と違って、かなりダイナミックに描写することができるアニメ・マンガは、いまやハリウッドからお手本とされるものになってしまった。

こうしてアニメ・マンガが浸透し、「日本ってすごい!」という賞賛の念が向けられると、海外にいて一番嬉しいのが、セキュリティに関係してくることだ。例えば、911アメリカ同時多発テロ事件)の時、真っ先にターゲットにされたのが、在米アラブ人だった。(似ているという理由でインド・パキスタン人も暴行などの対象になった)。

そんな政治経済関係の悪化は、その国に在留している邦人に、直接跳ね返ってくる。だから、アニメ・マンガがレスペクトされている間、邦人がそのはけ口として狙われることは少ないわけだ。(ただし、日本産アニメ・マンガが、自国の経済を圧迫している、などと仮に捉えられた場合は、その逆もありうるのだが・・・)

したがって、アニメーション研究として、日本製アニメが他国でどのように受容されているか、という調査も重要である。これは西洋人研究者が行う場合も多いのだが、日本人研究者の目からは、また違ったものが見えてくるかもしれないので、今後この分野の研究がすすむと、非常に面白いのではないかと思う。

ただし、これほど日本がカッコイイと肯定的にとらえられていることは、裏を返せば、非常に危険な状態(いつナショナリズムの標的にされるかわからない)ので、そのあたりは慎重に観察することを忘れないでいたい。