手塚治虫アカデミー2009 1.日本アニメの未来

手塚治虫アカデミー2009 1.日本アニメの未来

4月18日から、東京・両国にある江戸東京博物館にて、手塚治虫展がはじまりました。

それにあわせて、去年も開催された、「手塚治虫アカデミー」という講演が今年も3回開かれます。

http://www.bh-project.jp/static/jpn/image/event/film_photograph/tezuka_osamu2009.pdf

4月18日は、その1回と2回が行われました。

第1回 「日本アニメの未来」の会場には、けっこう男性のお年寄りと子連れ親子が目立ちました。

司会は、NHKの渡辺あゆみさん。そして進行は、手塚治虫の長男で、映像プロデューサーでもある手塚眞さん。パネリストは、アニメーション監督の杉井ギサブローさん、漫画家のゆうきまさみさん、(株)シンクの竹内宏彰さん、そして多摩美術大の片山雅弘さん。

:::::::::::::::以下、まとめと感想::::::::::::::::::::::::

まず、眞さんから「アニメ」についての定義がなされた。「アニメ」については、誤解が生じやすいタームであるが、ここでは便宜上、日本のアニメーションについて語るということで使うので、そこはご了承下さいとの説明がある。これは一般の人たちにはピンと来ないかもしれないが、けっこう大事な議論で、たとえば、TVで放映されるような商業アニメーションを「アニメ」と訳して、短編アニメーションのような商業ベースにあまり乗ってこない「アート・アニメーション」と区別して使う場合や、海外のように、日本製アニメーションを総称してANIMEとしたりする場合など、それぞれのコンテキストと、その言葉の運ぶ意味やイデオロギーなどを考えなくてはいけない、のである。

おもしろかったのは、杉井さんが語る「アニメ」の起源。実は、「鉄腕アトム」のテレビアニメーション制作で、あまり動いていない絵を見て、当時手塚に文句を言ったそうだ。

杉井「これじゃアニメーションじゃないじゃないか?」
手塚「これはアニメーションじゃなくて、アニメだよ」

杉井さんは、ここで初めて「アニメ」という言葉を聞いたそうだ。手塚の意味するところは、たとえば当時ディズニーで使用されていたフルアニメーションを「アニメーション」と呼ぶのなら、それとは全く違う考え方と手法を用いているから「アニメ」とするのだ、ということなのかもしれない。

手塚は造語がうまい。虫プロ制作長編の大人向けアニメーション映画「千夜一夜物語」と「クレオパトラ」を、「アニメラマ」と呼んだ。

「アニメーションとドラマ」をくっつけたものらしい。定着こそしなかったが、手塚がめざし、挑戦しようとした意図がうかがえる。

今回は、アニメーションの業績に関しての議論なので、漫画との比較があまりなかったが、興味深い点は、手塚眞さんが解説してくれた、漫画とアニメのキャラの差異。

たとえばアトムの角。漫画だと、どこを向いていようと、アトムの角は消えない。私たちは自発的に、二次元画面を見て、三次元のアトムを想像し、見えるはずであろう角を確認する。それが、製図的に合理性があるかどうかなどは、二の次だ。

アニメはそうはいかない。キャラクター設定をして、何人ものアニメーターが同じ絵を動かす(当時は手書きだったし)、ので、一定で共通の法則を作らなければならない。自然、漫画とアニメの顔が似ていないのは当然なのだ。(→これは、ゆうきさんの「鉄腕バーディ」のアニメで、ゆうきさんの漫画のキャラにアニメのキャラが似ていないことを、ファンから「作画崩壊」だと非難されたという発言を受けてのこと。)

漫画とアニメはいっしょくたに語られる傾向が強いし、漫画を動かすことから始まった歴史を考えると、仕方のないことでもある。その歴史の長短の差もあり、漫画研究よりすすんでいないのが、アニメ研究で、漫画の下位要素にカテゴライズされることも多い。けれども、小説と映画のように、まったく別のモノとして捉えて、研究をしていくべきである、ということを彼は示唆している気がした。

それから、アニメのプロデューサーである竹内さんは、手塚オタク、漫画オタク、アニメオタクを自負し、それが災いして、結婚を2回断られたという経験を持つ強者。彼が熱っぽく語っていたのは、日本のアニメが、ハリウッドに与えた大きな影響を、日本政府はまだわかっていない!ということ。(何かの政府の会議でそれを語ってきたばかりだとのこと)

彼が挙げたのは、アメリカでは、70年-80年代ビデオ(コピーのコピーの劣化したビデオ)を回して、日本のアニメ(「アトム」「マッハGOGOGO」などのTV放映したもの以外にも、日本から仕入れたモノ、ビデオでしかでなかったものなどあらゆる作品が、ファンの間で回され、楽しまれた)を鑑賞した世代が、今監督になって、スピルバーグ、ルーカス、キャメロン、バートン、ラセター、ウォシャウスキー兄弟らが、日本のアニメにインスパイアされた映画を生み出し、それが世界中の人たちに鑑賞されている、ということ。

これは厳密に言うと、アメリカ文化にインスパイアされた日本の作家たちが、これまたアメリカにそれを輸出したかたちにもなるという論もあるのだが(「ジャパニメーションはなぜ敗れるのか」大塚英志

、本来、文化交流というのは、そういった双方向的な動きの中でできあがるモノなので、日本すごいぞ、とか、日本が世界を席巻する、などという方向へ持って行くべきではないことは、自覚しておかなければならない。(竹内さんもそこまでは言っていない)

そして、私も大好きな片山さん。とにかく、彼はタレント性抜群。絵もうまいし、トークも巧い。きっと講義も楽しいんだろうなと、いつも思っている。

片山さんは、手塚を尊敬し、ともに仕事をしたこともあるという立場で、しかも後輩を育てるということで、日本のアニメーションで重要な、ドラマ性やキャラクター性を大事にしていきたい、と語った。手塚が残した作品には、あらゆるドラマがあり、あらゆるキャラがあり、それをあらゆる手法のアニメーションで残している。手塚を超えるような発想を、心がけて行かないといけない。

手塚が、なぜアニメーションを作りたがったのか。話を聞いていて、絵を動かすだけでなく、動くということが、生命につながるからだと思ったのかもしれない、と私は思う。「生きること」を、美辞麗句でなく、時には狂気、どろどろした欲望、時には慈愛、犠牲などで訴えていた手塚の作品は、これからも若い人たちに影響を与えていくのだと思う。