フェミニスト映画理論の援用 その3

非常に端折ってきてしまったが、英国のテレビ学は、何の前触れもなく生まれたわけではもちろんない。映画研究者が、テレビも研究するという流れはもちろんあり、また社会学の分野からテレビ研究へという流れももちろんある。

ここでは、英国のテレビ学の特徴と背景を少しお話したい。

ジョン・フィスケは「文化」に関して、次のような位置づけをしている。
カルチュラル・スタディーズ」というときに使われる「文化」は、審美的な意味でも、人文学的意味でもなく、政治的な意味である」('British Cultural Studies and Television' in Channels of Discourse, Reassembled)

カルチュラル・スタディーズ(CS)の翻訳「文化研究」と書いてしまうと、何やら歌舞伎や能、Jpopやマンガなど、一般に「文化」と呼ばれるものの研究だと、単純に思ってしまうかもしれないが、その題材を扱う事によって、どのような政治、思想、変化が生まれ、再生産し、普及し、副産物を生み出しているか、が垣間見えることに、実は重要な意味があるのである。

アニメーションを研究するにあたって、単純に日本のアニメが人気があるからと、無邪気にとびつく人がいるが、実はアニメという媒体をめぐって、日本や世界、人種、ジェンダーなどの様々な政治性が見えてくることもあるのだ。このことを自覚しないと、「アニメ研究?ただオタクが好きなものを極めているだけじゃないのか?時間の無駄だ!」などと、陰口をたたかれかねない。(そういうふうに思っている人は、残念ながらたくさんいるのが現実だ)。

いささかわき道にそれてしまったが、英国のテレビ学の話に戻そう。
1970年代、バーミンガム大学という、英国中部にある大学に、Center for Contemporary Cultural Studies (CCCS)という研究所が設立される。たぶん、聞いたことがあると思うが、レイモンド・ウィリアムズの思想を元に、スチュワート・ホールという人の主導で始まったものだ。ロンドンやエジンバラでなく、思想的にリベラルで産業都市(労働者階級の多い)のバーミンガムで始まったということにも、大いなる意味があった。

このCCCSで発展したCSで、もう一つ重要なのは、アントニオ・グラムシヘゲモニー論である。ヘゲモニーという単語は、聞いた事があると思うが、CSで言うところの意味は、文化(特に大衆文化)を共有することは、社会構造の中の無限の力関係の交差したところで、意味が生成され、またそれを摂取、反発、回覧、交渉することによって、社会的に経験し、その経験を通じて社会的自己が構築されていく、というものである。

その交流は、一方向的なものでなく、他方面、他方向、多種、多元に存在し、その文化の担い手の階級、宗教、人種、年齢、ジェンダー、などなどさまざまな背景によって、それこそ多種多様にあらわされるのだ。

普段私たちは、例えば、音楽を聞いたり、テレビを見たりする際、そんなことは意識したりしない。いかに「自然で当然なこと」に、恣意性があるか、そんな注意深い見方をしているのが、CSだと考えると、わかりやすいかもしれない。

詳細はまた今度述べていくとして、とにかく英国のテレビ学の背景には、そういった考え方があったということを踏まえて、話をすすめていきたい。