フェミニスト映画理論の援用 その4

フェミニスト映画理論からテレビ学へ

CCCSでのテレビへの取り組みで、初期に見られたのは、ニュースと視聴者の研究だった。ここで重要になってくるのは、ずばり「視聴者」である。

視聴者は、英語では「オーディエンス(または複数形audiences)」や「ヴューアーズ」と呼ばれる。以前言及したように、映画理論の中で、テキストに内包された(つまり設定された)観客をオーディエンスでなく、あえて「スペクテイター」と呼んだように、「観客、視聴者」をどう捉えるか、で、研究の意味や意図が違ってくるので、これらの語の使用には、但し書きが必要なのである。

英国テレビ学は、「スペクテイター」でなく、実際の視聴者とその個別の視聴経験に注目した。映画研究者でもあるアネット・クーンは、それを「ソーシャル・オーディエンス」と呼んだ。特に80年代のフェミニスト映画理論では、精神分析理論を中心とした解釈が主流であり、映画の中に表現される女性、女性表象、ナラティブ(語り、ストーリ、語り方など)におけるジェンダーの力関係やその内容についての研究がなされていた。

それをいい、悪いという判断はできない。そうではなく、テレビ研究には、どこで誰とどういう状況で観るかという視聴者の視聴リズムやスタイルは、千差万別であり、ビデオやDVDの普及につれて、映画も家庭で見るようになる時代、ソーシャルオーディエンス研究は、テレビ研究にとって、非常に意義あるものだったのである。

さて、英国のテレビ学での試みは、どういうふうに始められたのか?

まず、ニュース分析とニュースの視聴者が注目された。デイビッド・モーリーは、ニュース番組Nationwideと家庭での視聴の研究を行った。ニュースのテキスト分析(内容や報道のされ方の分析)と、それを視聴者がどう受け止め、どう感じているかをアンケートやインタビューで探ったのである。

そう、内容だけでなく、実際に視聴者がどう見るか、どう解釈するか、どう自分とかかわりがあるか・・・その両輪こそが、CSのテレビ学の土台なのであった。