マンガは越境する シンポジウム報告3

「マンガは越境する」 シンポジウム報告3

「脱歴史」のメディアとしてのマンガと「歴史」
ジェクリーヌ・ベルント(横浜国大)

マンガにおいて、戦争やナショナリズムが描かれるのは、珍しいことではないが、この頃注目される「歴史漫画」に対するパネリストの反論は、漫画に描かれる戦争や政治などを通じての歴史を、物語のみに注目して論じるのは危険ということ。周りの状況や読まれ方のコンテキストを踏まえて研究するべきということだった。

これは、私の研究スタンスである、カルチュラル・スタディーズの真髄ともいえる。テキスト内にとどまることなく、テキストとコンテキストの重視。その間に展開される力、権力、快楽をすくいとること。ベルント氏の主張は、今までの漫画研究や歴史研究にも、変化をもたらすだろう。


そんな中、最近こんなニュースが流れた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090113-00000034-yom-int
ヘタリア」という、インターネットマンガ原作のアニメが、放映中止になったというのだ。「ヘタリア」を直接まだ読んでいないが、解説によると、国を象徴する人物が登場する、風刺的な作風らしい。でも、韓国人がこれを読んで、あまりにも韓国を馬鹿にしているということで、抗議があり、放映中止となったそうだ。

ヘタリア Axis Powers

漫画版はこれ↑

漫画が国策として、巨大ビジネスの一端を担っている現在、たかが漫画として見過ごすのは危険だ。けれども、自分の国が馬鹿にされているから、という理由で、発禁に追い込むことも、また危険だと思う。今回はそこまでの騒ぎになってはいないが、作者の出自がその言説の理由の一つになっていたとしたら、これはもう、歴史認識の問題ともからんでくるだろう。やっかいな問題だ。

ベルント氏の言うように、どのように読まれているか、をもう少し調べる必要がありそうだ。