日本アニメにおけるレズビアン・コード

先日のヘレンさんの講演を聴いて、ふと、あることを思い出しました。

それは、欧州で日本の少女向けアニメが紹介される時、結構「レズビアンもの」としてカテゴリー化されることが多い事。
例を挙げると、
キャンディ・キャンディ」(キャンディとアニー)
ベルサイユのばら」(オスカルとロザリー)
少女革命ウテナ」(ウテナとアンシー)

確かにウテナなど(特に映画版)は、レズビアン幻想なるものが意識的に入っていると思われるので、無理もないと思いますが、キャンディとベルばらなどは、ちょっと考えてしまいます。

逆に同人誌でパロられるいわゆるスラッシイ・アニメ(マンガ)の「セイラームーン」などは、入らないことが多いんですよね。

こういうのを、「レズビアン・コード化」と呼ぶのですが、ヘレンさんがご紹介くださった、「大好きなアニメ」という「ダーティ・ペア(DP)」と「ガン・スミス・キャット(GSC)」。どちらもバディもの(と私は呼んでいますが)なので、スラッシャブル(やおい的同性愛幻想が可能な余地がある)なわけです。

GSCのほうは詳しく知りませんが、DPの方はレズビアン・コード化されて語られる可能性が大いにあります。そのコード化で、何が問題になってくるかというと、フェミニズムの力として、肯定的に受け入れられる、ということです。

ダーティペア【劇場版】 [DVD]

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DPのOVAのほうをヘレンさんは見せてくれましたが、私はTV版の方を見たことがあって、放映当時は、あたらしい女性像(自律した女性)を提示しているなあと思っていました。(それでも、女性キャラが背負うセクシュアリティが典型的に入っていたので、まだまだステレオタイプなわけですが)

ヘレンさんも触れていた、ガッチャマンの紅一点も、かなり斬新な女性だったのですが、やはり紅一点の限界があったわけです。そう考えてみると、マジンガーZサイボーグ009ガッチャマンと、結構戦闘ものに紅一点は出てきますが、女性2人のバディものって、DPが初めてなのではないでしょうか?

その前に映画化された同じ作者の「クラッシャージョー」でも、紅一点(しかもお姫様)だったし、ある意味、レズビアン・コード化って、アニメにおけるジェンダー研究に重要だなあ、と痛感する今日このごろです。