研究ノート 「女性客」というコードのつくられかたー執事喫茶編2

「女性客」というコードのつくられ方ーー執事喫茶編2

日本における「執事」というコードについて、執事喫茶のことに触れたが、アニメや漫画の媒体とはまた違った場が作られていることを、考えてみたい。今回は「女性客」という主体の構築について。

執事喫茶は女性客を主なターゲットとして作られている、と普通ならスルーしてしまう言説(ディスコース)を分析してみよう。

まず、「客」とは何か?もちろん、執事喫茶に入って物を消費する行為体(エージェント)である。しかし、客は執事喫茶に入った時、「執事喫茶の客」としてふるまう、つまりパフォーマンスを行うことを強いられる(もしくは楽しむ)。

どういうことか。これは実体験をもって、事例としてみよう。

私が執事喫茶に入ったのは、初めてである。もちろん、執事喫茶のイメージは、マンガやアニメやドラマである程度は知っている。しかし、実際の場に遭遇したことがない場合、ある程度の自由が保障されている。なぜなら、まだ「お客様」と呼ばれていないからだ。

入口を入ると、女性は「お嬢様」、男性は「お坊ちゃま」など、特定の名称がつかわれる。(これは予約時に選択できるしくみ。生物学的な差の制限はない。つまり、生物学的に女性でも「お坊ちゃま」と設定できるし、その逆も可。「マダム」や「ご主人さま」なども当然並列した変数として挙げられる)

主従関係のパフォーマンスを強いられて、「お嬢様」と呼ばれ、かしずかれると、「お嬢様」としての振る舞いが求められる。その期待通り、執事の後に歩き、執事のいうようにふるまう。(自分一人で行動してはいけないルールがあるのは、先日説明したとおり。詳細は2009年2月16日の日記を参照のこと)

呼び名と行動(ふるまい)が設定されたら、次は言葉使い。執事はあくまで、丁寧で上品なスピーチコードで話す。普通の喫茶店ウェイターの2倍といったところか。(あくまでイメージ) 間違っても、「もの」を「ヤツ」とは言わない。

すると、こちらの言葉使いも丁寧で上品なコードに合わせられる。「わたくし」や「わたし」は使えるが、「あたい」「オレ」などは不似合いと判断される。

そして、「英国貴族の屋敷」をイメージしたテーブル、カーテン、展示物。英国に少ししか滞在していない私の目から見ても、フェイクというか限りなく「日本人がイメージするところの英国貴族」の調度品なのだが、この場が大事なのだ。

そして、「女性客」という主体が作られる。これは、相互作用であるので、「お嬢様」と呼ばれても、無視したり、振り向いたりしなければ、「女性客」とはならないだろう。それに、執事の振る舞いをパフォーマンスとして理解できなければ、こちらのパフォーマンスも成り立たない。(だから客は自由を奪われなければいけないのだ)

場も、日本人ならメディアなどでみるイメージとしての「欧州」というコードを持っていないと成立しない。あくまでイメージでいいのだ。いや、イメージでなければ、楽しいパフォーマンスができないのだ。

生物学的な性差は関係なく、執事のパフォーマンスで、入口を入った行為体は「女性客」となる。ジェンダー想定が、女性となっているため、客はジェンダー化されるのである。

これが第一義的レベルである。次に考えるのは、女性客と設定され、パフォーマンスしているはずの客たち行為体の、個々人のとらえ方である。これは、最初のレベルと違う、もっと経験的なレベルである。これについては、また後ほど詳しく述べたい。

再生産について―イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置

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アルチュセールイデオロギー論。古典となってしまったが、読んでおきたい一冊。