研究ノート ジェンダーと客ーー執事喫茶編3

ジェンダーと客−−執事喫茶編3」

ジェンダーというのは、一般的に「社会的に構築された、男性性女性性にまつわる差」などと言われるが、定義はさまざまだ。例えば、英語圏では、書類やアンケートなどに、性別の欄があると、たいてい

What is your gender?という問で聞かれる。

そもそもこれは矛盾している。そもそもsexと区別して使われ始めた用語が、単なる代替物として機能してしまう結果に甘んじているからだ。

ジェンダー・バランスが悪い」などと言って、男女の頭数を合わせようとする身振りもまた、実は生物学的性差との根本的な決別はしていない。

J.バトラーは、ジェンダーは、パフォーマティブに立ち上がる、と説いた。彼女の仕事は、sexもまた、構築物なのだ、という結論までの長く地道な議論を含んでいるのだが、実感としてセックスとジェンダーは、まだ不可分に結びついている。

そんなことを前提に執事喫茶メイド喫茶の客の主体について考えてみたい。というのは、「執事喫茶の女性客」、「メイド喫茶の男性客」と書くと、あたかもセックスの差を自明として議論を進めていると誤解を受けてしまうかもしれないからだ。

女性客、男性客という時、ジェンダーとしての意味を内包(つまり構築される主体)していることを強調しつつ、客の作られ方を、さらに考えてみたい。

「執事」というコードを読み取り、受容することによって作られた「女性客」ということは先日書いたが、今回は「執事喫茶の女性客」と、完全なる対比でないが、便宜上「メイド喫茶の男性客」と比べてみると、特徴がわかるかもしれない。

その一番の差と思われるのは、「場」ではないだろうか。執事喫茶は、西洋的なセッティングと、おしゃれなソファーやテーブルが非常に大事である。一人ひとりの執事のキャラ立ちは、メイドに比べると薄い。もちろん、だからといって、執事の個性に萌えない位相がないというわけではない。

メイド喫茶では、そのセッティングのコードが、執事喫茶よりも重要でない。逆にメイド個人のキャラは重要だ。場や関係性に萌えるのでなく、個に萌えるのだ。だから、テーブルやいすがちゃちでも、メイドがかわいかったり、自分好みのキャラや声だったりすると、快楽を得られるのである。

メイドと遊ぶオプションがあり、わいわいがやがやするメイド喫茶が多い中、写真や大声が禁止な執事喫茶が多いのも、「場」と「個」の差がでているのだ。

触発する言葉―言語・権力・行為体

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